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名探偵のいない密室

若手俳優の舞台のこと中心

ウロボロス 最終話 感想 血は水よりも濃い


何かを見て何かを感じたのを垂れ流しにするのがもったいない!と思い今日から自分の勝手な妄想や考察をぐだぐだ書いていくことにしました。どうぞよろしくお願いします〜



先月、とあるフォロワーさんに今やってるドラマ、「ウロボロス〜この愛は正義〜」が面白いよと勧められてあらゆる力(主に金)を使って既に放送されていた5話までを一気見しました。もちろんどハマりして、バイト中延々とイクオとタッちゃんのこれからに思いを馳せていました。回が進むごとに真相に近づいていく焦燥感....ふざける深町...ボンバーマン...。様々な角度から見てほんとうに楽しいドラマでした。そして今日ようやく最終話を迎えたわけですが、バイトのおかげでリアタイできず、いつものようにTLに張り付くことができなくて、お家に帰ってカップうどんとおにぎりを食べながら録画で見ました。以下は総監宅の場面以降についていろいろ考えたことです。


血は水よりも濃い


最終話について話すと言いながら初っ端から前回のことについて触れたいと思います。

エンディングが流れる中、まほろば時代のイクオのパーソナルデータがタッちゃんの車(カッコいい)の助手席に置かれたファイルで公開されます。あのシーン!!!すごくドキッとしました。もちろん北川総監がイクオの父親だと予想していなかったので単純にその事実に驚いたというところもあります。しかしわたしが真に衝撃を受けたのは、イクオには家族がいたのだ、というところです。まほろばは身寄りのない子供たちが身を寄せ合って暮らす児童養護施設でした。その中にいるのだから当然イクオにも家族がいないのだと思い込んでいました。しかし、イクオには父親がいた。
「タッちゃんはほんとうのほんとうに一人だったのだ」

竜哉は撃たれた後北川総監に向かって言います。「あんた息子かばっただろ」イクオに向かって「こいつはお前の弟なんだぞ」
そのタッちゃんの憧憬の瞳....。
それまで北川総監は血も涙も枯れ果てた悲しい悪として描かれています。しかしそんな人間であってもイクオの血の繋がった家族であるのです。どんなにひどい人間であっても家族がいるのといないのとでは360度違う、と思います。イクオはそのことがきちんと理解できる状況にありませんでした。しかし竜哉は、本当に何も持っていなかったタッちゃんにはそのことのもつ意味がよくわかったのでしょう。だってずっと憧れていたから。自分を生んだ母に抱かれるその日を。父を眩しく思うその時を。持たない者は有ることのありがたみをよく知っているといいますね。まさにそれでした。結子先生についてのイクオの気持ちがあまり描かれていなかったことへの疑問が解消されたと思います。イクオには結子先生と同等に大切な人が既にいたのだから。

段野竜哉は天涯孤独であり、それゆえに北川総監を殺そうとする龍崎イクオを止めることができたのです。やっとそこに辿り着くことができたのです。北川総監の息子を想う愛に、タッちゃんは眩んだのです。


-この愛は正義-という副題には賛否両論あったそうです。しかしタッちゃんがイクオを想う愛は確かに正義だった。イクオをこれ以上道から外れた人間にしたくないと想う愛、結子先生に立派に会うために踏み止まる愛。段野竜哉の愛は正義だったのです。


余談ですがこのウロボロスに似た作風は?と聞かれると漫画、BLACK LAGOONの双子編やアニメ、残響のテロルなどが挙げられます。どちらも大人の都合で運命を左右された子供たちが逆襲を仕掛けようとする物語です。わたしは特にBLACK LAGOONが好きで、中でも好きなセリフがあります。



誰かが、ほんの少し優しければあの子達は、学校に通い、友達を作って、幸せに暮らしただろう。
 でも、そうはならなかった。
 ならなかったんだよ、ロック。
 だから、この話はここでお終いなん     だ。



この言葉がウロボロス最終話にぴったりだと思いました。イクオには日比野美月という理解者が現れ、竜哉には自分を受け入れてくれた組やベストオブ片腕の深町がいました。しかし彼らの復讐は結子先生が殺された日から根を張っていたのです。もし竜哉が心優しい夫婦に引き取られていれば、イクオが捨てられることなどなければ、あの日結子先生が殺されなければ...。でもそうはならなかった。だからこの話はここでお終いなのです。遣る瀬無い終わり方でしたが、人間としての終わりというものの呆気なさと無常を感じさせる良いドラマだったと思います。